What Money Can't Buy

 

 

 

 マイケル・サンデルの「それをお金で買いますか」を読んだ。市場主義的な考えが僕らの生活に浸透し、愛情や人間の尊厳といった規範が蝕まれていることを指摘している。それを防ぐには、市場主義的な考えのまま思考停止をするのではなく、何が善なのかをしっかりと議論をして結論を出すべきだというのが筆者の考えである。

 このように、特に本の中では具体的な解決策が提示されているわけではない。しっかりと議論をしよう、といっているだけである。これだけでは、金銭的にモチベートされて市場主義を導入してくる人たちを食い止めることはできない。よって、法律によって規制するというのが単純な対策になると思う。ただし、どこまで規制すべきか、そうでないかは、それこそ「議論」が必要になる。

 この本は主にアメリカに蔓延する市場主義に着目しているが、日本ではこのような顕著な状況は見られない。それはやはり国民性によるものなのだろうか、それとも法律がしっかりと市場主義を抑えているからなのだろうか。

 調査をしていないからわからないが、おそらく法律ではなく国民性がそのような市場主義を抑えているのだと思う。日本でそのような法律がきっちりと整備されているということは聞いたことがないので...

 

私とは何かーー「個人」から「分人」へ

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

  私とは「分人」であると著者は主張する。本当の私が存在するというのは幻想で、私という存在は、幾人かの人との関係のなかで生まれた複数の人格を併せ持った存在だという。このモデルを使い、人間関係で生じる苦悩を分析することでその原因を明らかにしている。

 本当の私が存在すると皆が思ってしまうのは、人はそれぞれ固有で唯一の顔を持っていることが一つの原因だと著者は述べている。これは心と体の関係性を述べていて大変興味深かった。デカルトが主張した心身二元論が普及して、心と体はべつのものだと考えられた時期はあったが、この二つはそのように截然と分け隔てることのできることはできないと思う。体の調子で心の調子は影響を被るし、その逆もしかりである。両者の関係は何のかが科学的に解明されるのはずっと先のことになるだろうけど。。。

 人間という科学的に未知な部分が多い生命対象を「分人」というモデルに当てはめて考えることにすこし抵抗があったが、モデルなくして対象を理解することは困難だし、従来の心理学も同様の手法をとってきているので(フロイトの、エゴ、イド、スーパーエゴの関係とか)、正攻法のアプローチだとは思った。

 愛とは、献身の応酬ではなく、一緒にいるときに感じる居心地の良さのことであると著者は述べているがこれは私とは意見を異にする。

 

陰翳礼賛

 

 

 日本の伝統美は、西洋のような浅いあからさまな装飾美とは異なり、陰を基調とした朦朧とした自然美あると主張している。厠や食器、装飾などを例にとり、西洋美に比べて日本の美が優れている点を挙げていく。また、西洋と東洋で美意識の違いが生まれた背景として、両人種の肌の色の違いが原因であるという考えを述べて話をしめくくる。

 なるほど、日本の美の価値を再認識することができた。しかし、ここまでの優れた点がありながら、私たちの日常から日本様式がほとんど消え失せてしまったのはなぜであろうか。理由の一つとしては、西洋様式のほうが合理的であり、それを私たちが好んだからだといえる。それでは、なぜ私たちは合理的な様式を選択してしまったのだろうか。それはやはり、その時代において西洋のほうがより経済的に豊かで、軍事的にも強かったために、西洋文化を取り入れて彼らに追いつこうとしたがためだと思われる。要するに日本人に根差した禅的な美は、物質的な豊かさを得るためには非合理的だったのだ。

 今の世の中を見てみると合理性を追求するあまり、自然と人間が袂を分かち環境問題が生じ、人間と人間の間の関係も浅薄なものになり自殺者が後を絶たない。人間という存在を自然と一体のものとして捉えようとする日本の伝統美の価値観を今こそ見直してみるべきなのだろうか。

 

ブログ始めました

 ブログ始めました。

 読書が大好きで、本ばかり読んでいるのですが、読んで考えた内容を吐露する場所が欲しいと思い、ブログ開設に至りました。

 普段はソフトウェアエンジニアをしています。よろしくお願いいたします。